渋沢栄一を読んでみた。その①

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今年吉沢亮さん主演で大河ドラマ「青天を衝け」のモデルとになり

2024年からは1万円札の顔になる渋沢栄一ってどんな人なんだろう?

と思い、なるべくわかりやすそうな本を読んでみた。(ムック本にした(*’▽’))
第1章~第10章まであり簡潔に書いてある。まずびっくりしたのが世界遺産の富岡製糸場から銀行、ビール会社まで500社もの企業設立、600もの学校、病院、などの教育機関の運営にまで、かかわったとされること。
昨今の投資ブームや仮想通貨バブルなどにも警鐘を鳴らすかのような内容に衝撃を受けました。

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そもそもどんな人なのか?

埼玉県深谷市の農商家に生まれた栄一は7歳で「論語」に出会い14歳で商才を発揮。その後尊王攘夷に目覚め志士となるが時代に合わせ西洋文化をことごとく吸収。官僚になるも辞し、実業界に入り日本初の銀行を創設するなど日本の経済基盤を作ったと言っていい人なのだ。

では、なにがすごいのか?

著書「論語と算盤」は今話題のSDGs(持続可能な開発目標を先取りしたかのような内容なのだ。「商いは利益の追求と論語が説く道徳心がなければ商売は長続きしない」と。栄一が生まれる前、実家は傾きかけていた。分家より婿養子をもらいその婿養子が始めた藍玉の商売で傾きかけた本家を立て直し、栄一は生まれる。そして見よう見まねで父の商売を手伝い商売に目覚める。

ここで真っ当な商売をするのにきちっとした心構えが必要だ。と気づく。この時14歳。

    1. 藍玉の商売繁盛により学問とし尊王攘夷に目覚める。そこで第2章「成功を収めようとおもえば待っているだけではだめで行動あるのみ」栄一17歳のとき、今では御法度とも思える代官屋敷からの申し出に一旦持ち帰ると言い代官より横柄な態度で叱責される。この時、栄一は理不尽な身分制度の打破がスローガンになり、23歳の時討幕にまで考えが及ぶが断念、よりにもよって討幕相手の徳川慶喜の仕官となる。その際、「自分は天下を乱そうとする人物ほどの力量のある人物でそんなものを集めてこそ天下は治まる」といってから召し抱えられたと。その時代に進言や拝謁だけでも切腹もんですが、ここに度胸と行動力を感じます。/li>
    2. こうして順調に出世していき25歳のとき御目見え以上になり歩兵を取り立てる役目を仰せつかう。西日本を回り456人もの兵士を集めながらその土地土地の特産品に目つけうまく商売する方法を確立ここで藩札というものが登場し紙幣であっても信用があれば流通するという概念を確立。紙切れが循環された瞬間でしょうね~。第3章

そしてこのあとフランス行きを命じられ最初に上海で富と貧富の差を目の当たりに。フランスでのカルチャーショックで髷を切り落としフランス社会に溶け込もうと経済や金融の仕組みを勉強、そのころの幕府の送金では足りなかったため

株を買って滞在費を工面。この時栄一27歳 第4章。

株ですよ!?しかも外国株!すごくないですかこの時代に…。度胸あるわぁ。
その後帰国を命じられた栄一は28歳。戊辰戦争真っただ中。民間人になるつもりだった。慶喜は勘定組頭となるよう命じる。この時の新政府はいずれ財政が立ち行かなくなると思い、地元の商人から資本を公募し、藩の資本と合わせて事業を起こす。そう、

株式会社を設立するのだこの時栄一29歳。第5章
    1. 静岡で事業が始まり、これからというときに新政府より状況を命じられ、大蔵省の役職に就くよう命じられる。なんとか断ろうとするが、折れて官僚となる栄一29歳。栄一は新政府の官僚として藩札の処理など数々の改革をする。この改革を良く思わない者たちもいたが、栄一の実直な仕事ぶりは徐々に認められていくことに。第6章
    2. 次に着手したのが全国測量だ。フランスで鉄道網が整備されているのを目の当たりにし鉄道が不可欠と考える。そして明治5年日本初の鉄道を開通。その前年廃藩置県が起きその藩独自の藩札が紙切れになるかも知れないとき栄一は新しい負債のみを国が肩代わりするという方法で暴動を起こさずに済ませた。第7章
    3. そして同じ大蔵省の財政を軽視する大久保利通と財政が大事だという栄一は対立。しかし大久保利通と岩倉具視がヨーロッパで外遊中に銀行創設にかじを切る。機能していない為替会社を国立銀行にすべく奔走するが、かつての上司大隈重信や政府側から批判をあび、官僚を辞任。栄一33歳第8章

栄一が大蔵省を辞めて1か月後の明治6年第一国立銀行が設立。この時の発起人が三井組と小野組だった。小野組が倒産したため第一国立銀行も連鎖倒産しかねなかったが自ら頭取となり免れ最終的には153行もの銀行が誕生。第9章

    1. 次に着手したのが商人の地位向上。「士農工商」と言われるほど地位の低かった時代。とにかく打破するため、東京商工会議所の前身いわゆる財閥軍団も引き入れ今の東京商法会議所を設立。会頭に就任。栄一38歳。そして島国である日本は古来より海運は発達していた。しかし岩崎弥太郎率いる三菱汽船がほぼ独占、「富は分配されるべき」との考えから三菱相手に値下げ交渉に挑む。しかし結果値下げ合戦になってしまい赤字。お互い折れなかったため見かねた政府は両社を合併、日本郵船の誕生である。栄一45歳。しかもその間に36歳でガスの供給に携わり、43歳で電灯会社の設立にも携わる。そして38歳で商業教育にも携わり現在の一橋大学の前身である東京商科大学を設立。第10章
    2. しかし栄一54歳の時日清戦争勃発。この時戦費調達のため三井、三菱らとともに奔走。自らも寄付。感謝状が贈られるほどだった。

まだまだ続くので書ききれません(*_*;次回へ続く・・・・。一冊10分で読める! 本の要約サービス【フライヤー】
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